ペット動物に増える歯槽膿漏(しそうのうろう)

 イヌと将軍に学ぶ
      茂原 信生


イヌと将軍が示す人間の未来
 私はひょんなことから、イヌの研究をすることになったのですが、現代のイヌにみられる口腔の疾患をみますと、井上先生たちのおっしゃるディスクレパンシーと非常に関係が深いということに気がつきました。そこで、数千年前、あるいは数百年前のイヌと現代のイヌとは、どこが違うのかと言うことを調べてみたところ、実におもしろいことに気がつきました。
 つまり、われわれ現代人にみられるディスクレパンシー現象と言うものが現代のイヌにもはっきりとみられるということです。しかも、イヌは自分自身で食生活のコントロールをすることができませんので、人よりもディスクレパンシーが先行している部分があるのです。
 とはいえ、むし歯の問題はあまりありません。少数にむし歯がみられることはありますが、それは特異な例です。なぜならば、歯の形を見てもおわかりのように、むし歯になりにくい構造をしていますし、もともとが食肉類ということもあります。問題になるのは、歯周疾患と咀嚼器官の退化、すなわち咬合力の低下ということです。

 噛まないイヌとディスクレパンシー
 
現代のイヌの食生活は、動物の親赤ちゃんの面倒を見るように、人間が完全にコントロールすることができるわけです。そして、そのような食生活の影響が人間よりもはっきりとした形で現れやすいのです。なぜならば彼らは人間と違ってより多く噛むとかいった対応を取れないからです。
 写真をご覧ください。



 中の2つが4,000年くらい前のイヌで、両脇が現代の日本の柴犬です。比べてみていただくと分かると思いますが、顎がきゃしゃになっています。歯そのものは変わっていません。
 縄文時代は人の食べ残したイノシシとかシカとかの骨をかじるとか、魚の骨とか、このような食事をしていたはずです。ですから、現代のイヌには見られない歯の損傷とか、割れた歯が多いわけです。
 ところが現代のイヌは、生後なにかによって歯を傷つけるとか、欠損するとか、そういう例は少なくて、先天的に欠損していたのであろうと推測できる例のほうが多いのです。これは現代人の第三大臼歯にみられる現象とよく似ています。
 また、イヌは現代に向かってどんどんフン(吻)が短くなっています。つまり歯列の長さが短くなっているわけです。これはヒトにもいえることで、昔はチンパンジーのように鼻面が出て咀嚼器官も発達していた。ところが人間に向かうに従って咀嚼器官が退化し、顔も平らになっていった。それと同じような現象が縄文から現代に向かって、イヌにもみられるわけです。そして、その代償作用というか、長さが短くなった代わりに、幅が大きくなってくる現象が、イヌではみられます。



 
上の図は、古い時代から現代までの犬のプロフィールです。うえから、
 1:縄文時代犬骨
 2:中世犬骨
 3:江戸時代犬骨
 4:現生シバイヌ
となっています。
どこがどう違っているかというと、額から鼻先にかけての凹み、日本名でいうとガクダン(顎段)、これが時代とともに大きくなっています。これには多少は嗅覚も関係があると思うのですが、おもに咀嚼との関係だと思います。つまりは噛むことの必要性がなくなってきたために、人間ほどではないにしても、顔が平坦になるような形になってきているということです。
 上の右の表は現代のシバイヌにみられる歯の特徴をあげたものですが、どこに一番変化が起きているかというと、小臼歯部なんです。小臼歯は本来、隙間をもってはえてくるはずなんですが、顎が小さくなってきていると言うことで、オーバーラップというか、歯と歯が重なってきています。あるいは、著しいウィンギング(捻転)がかなりの率で生じています。それとともに乳歯残存などがみられて、これらはいずれも古い時代のイヌにはみられなかった現象です。


 甘いもの軟らかいもの好きな将軍
 
ここまではディスクレパンシー現象がヒトに先行して現れる例として、現代のシバイヌを取り上げてお話したわけですが、ここで、もう1つの現代人に先行する例として、徳川の将軍たちを上げてみましょう。
 徳川将軍というのは、ほとんど軟らかい物しか食べていません。その結果、60歳ぐらいまで生きた将軍でも、ほとんど歯の磨耗がみられません。そのような、ほとんど噛む力を必要としない食事を長い間繰り返し、また同じような形質を持ったヒトを結婚相手に選んで・・・・・と言う世代を繰り返していると、いったいどういうことになるか。当然、ディスクレパンシーがひどくなるわけです。
 また、将軍は甘い物が好きで、特に家茂などは、しょっちゅう金平糖とかの砂糖菓子を食べていたので、庶民に比べてう食が多かったと言われています。


徳川将軍家の人々にみられる歯列不正とう食。12代将軍家慶(左)および14代将軍家茂(右)の上顎および下顎歯列の咬合面観


 このように「噛まない・甘いもの好き」と言う点で、徳川の将軍たちは、食生活ではわれわれと同時代に生きた人といえるかもしれません。いや、われわれよりもさらに未来に生き、そのときの人間の姿を暗示しているのかもしれません。



 いま われわれが為すべきことは・・・・・
 
イヌにしても人間にしても、2,000〜3,000年の間に、なぜこんなにも変化してしまったのでしょうか。いや、戦後と言う短期間にも変化がみられるといいます。なぜでしょう。原因はやはり食生活しか考えられないのです。ヒトの食生活の変化は、すなわちイヌの食生活の変化でもあるわけですから、イヌの原因も同じように考えられます。
 ここで骨の変化の極端な例をおみせします。


(左)ブルドッグの上顎歯列。口蓋は極端に短いが、歯の数が減少していないので小臼歯部に歯列不正が生じている
(右)チンやブルドッグにみられる顔面の平坦化(左がチン、右がブルドッグ)。特に上顎部が縮小している。

 上の図のブルドッグは口蓋の長さがとても短くなっていますね。そういうふうに改良されたわけです。ところが口蓋を短くすることはできますが、悲しいかな、歯の数を変えることはできない。そうするとどうなるか。現代人と同じです。めちゃくちゃな歯の生え方になってしまいます。
 それと上の図の右はチンです。歯のことはお留守で、顔を平坦にすると言う変化を優先させた結果、顎骨が小さくなってしまって、もう歯の生える場所がない。これでも生きられるというのが現代の不思議の1つで、家犬でなければ当然死んでいるでしょう。


 現代と言うものを象徴するイヌと、未来を暗示する徳川の将軍達を見てきました。今われわれが為すべきことは、なんなのでしょう・・・・・。






                      歯界展望:第71巻 間違いだらけのむし歯予防 第2号より