症例@A子ちゃんのケース(初診時3歳 女児)

  ある日の夕方、診療が終わってほっとしていたとき、頬部の腫れと強い痛みを訴える女の子が、おばあちゃんにおんぶされて救急来院しました。口の中を見てみると萌出乳歯のほぼすべてが歯髄まで達する重症のう蝕で、惨憺たる状態でした。治療を嫌がって泣きわめくA子ちゃんを押さえつけながら、腫脹の原因であった歯の応急処置をなんとか終えました。
 この日からA子ちゃんとの長いおつきあいが始まりました。治療に来るたびに号泣するA子ちゃんに最初は苦労しましたが、治療にもしだいに慣れ、笑顔が見られるようになったころに、ようやく口腔内写真も撮らせてもらえました。

 
4歳 ランパントカリエス  来院のたびに号泣し、治療がひと段落したところで、やっと口腔内写真を撮らせてもらえた


 次に、その後の治療と口腔衛生指導の経過を、A子ちゃんと一番長く時間を過ごした歯科衛生士から伝えてもらいます。

カリエスリスクを下げるためにはまず砂糖のコントロールを。

 A子ちゃんの治療がひと段落した後、1ヶ月に1回来院してもらい、経過観察をかねた口腔衛生指導を継続することになりました。当初のカリオスタットによるリスク判定は「+++」で、明らかにう蝕のリスクが高い状態でした。

 
カリオスタットによるリスク判定とその経年変化


 A子ちゃんの両親はもともに仕事に出ているため、家ではいつもおばあちゃんと一緒に過ごし、あめやチョコレート、ガムなど甘い物漬けの状態でした。そこで、まずおばあちゃんに砂糖の弊害を説明し、理解してもらうよう努めました。しかし、なかなか急には食習慣は改まらず、また、根管治療してあった乳臼歯が膿瘍を繰り返し、リスクの下がりきらない状態が続いていました。この様子から、砂糖の摂取がうまくコントロールできない限りう蝕の予防は難しいことを痛感しましたが、来院は途絶えず続いていたので、“根気よく待とう”という気持ちでA子ちゃんに接していました。

甘いものをやめるのは、本人の自覚とやり方ひとつだった。

 7歳になったときのことです。左下の6歳臼歯がう蝕になり、アマルガム充填をすることになってしまいました。このことが、少女らしい審美への自覚や美しさへの憧れが芽生え始めていたA子ちゃんの気持ちに触れたようでした。また、乳歯う蝕の後遺症なのか左上中切歯が反対咬合となり限局矯正を受けることになったことも、A子ちゃんの心になんらかの変化を起こしたのでしょう。

 
7歳 左下6番にアマルガム充填されたことがきっかけとなってA子ちゃんに自覚が芽生え、甘味制限にも成功した
左上1番と左下1番が反対咬合だったため限局矯正を行う


 これらのことをきっかけに、A子ちゃんが砂糖の摂取制限にやる気を持って積極的に取り組むようになりました。
 そこで、甘いものも、ただやみくもに「減らせ!」「止めろ!」と言うのではなく、A子ちゃんの1日の生活のパターンをよく問診し、“何が問題なのか”“どこなら変えることができるか”を本人と相談し約束しながら少し
ずつ改善していくという方法をとりました。


生活パターンを問診し、行動変容のための具体的な目標設定を行う

 子供の意識や行動変えるためには、意思をもった1人の人間として同じ目線で接しながら細かな行動目標を設定し、約束と評価を繰り返すことが不可欠だと思います。たとえば、「毎朝飲んでいる乳酸飲料をお茶に変えよう」と指切りし、次に来院したときに「それができたかどうか」を確かめ、できなかったのなら「それはなぜか」「次の約束はどうするか」をすげてA子ちゃん自身と相談しながら決めていったのです。
 甘味制限がうまくできるようになると、ブラッシングも急に改善しました。また、同時によく噛む事の意識付けやフッ化物使用など、よかれと思われることはなんでも歯科衛生士が指導して、A子ちゃん自身も続けてくれました。

フッ化物も使うが、あくまで補助的なもの。まず、砂糖のコントロールが必須


 その結果、カリオスタット値もしだいに下がっていきました。 

後遺症にも負けない「自覚」

 好ましい変化に喜びながら、9歳になって側方歯群の交換期を迎えました。ところが、萌出してきた第一
小臼歯がなんと「ターナーの歯」とよばれる形成不完全歯だったのです。


9歳 萌出してきた第一小臼歯がなんと「ターナーの歯」!砂糖とう蝕の怖さを再確認させた


 乳臼歯のとき繰り返した膿瘍が原因と考えられました。

 A子ちゃんと砂糖の怖さについてもう一度話し合い、最小限の形成をしてレジン充填を行いました。10歳になると、右上第二小臼歯が萌出余地不足をきたし限局的な矯正をすることになりました。




10歳 右上第二小臼歯が萌出不全。乳歯う蝕の後遺症に悩まされ続けてきたが、それをモチベーションのきっかけとした。矯正処置もそのつど最小限の介入ですませることができた。

 このように小臼歯の交換がうまくいかなかったのも、乳臼歯のランパントカリエスの後遺症と考えられました。しかし、このころはすでに、A子ちゃんはしっかり自覚をもっており、自分からはあまり甘いものを口にせず、ブラッシングも上手で歯肉炎もコントロールできている状態に成長していました。形成不全の小臼歯も、レジンによる修復と同時に歯質強化の目的でシーラント処置を行いました。



12歳 形成不全の小臼歯には最小限のレジン充填で対応。歯質強化のためシーラントもした。食生活やブラッシングも良好

う蝕を「きっかけ」にするための定期健診

 A子ちゃんは、乳歯のランパントカリエスの後遺症に苦しみながらも、それがきっかけになって口腔内への意識と自覚が高まり、10年後には素敵な永久歯列を獲得することができました。その間、定期健診を欠かすことなく、そのときどきにどうしても必要と判断された最小限の処置を受けながら、これから一生自己管理を続けていける大人に成長しつつあります。今後も可能な限り定期健診を続けながら、見守っていきたいと思っています。